日常生活の中で、私たちは絶え間なく「判断」をして生きています。

どこかで聞いたことありますよね?

通勤・通学に使う道を選ぶこと

今日のお昼ご飯に食べるものやお店を選ぶこと

今の会社を辞めることを選ぶこと

もしかしたら、選ぶことを余儀なくされて選んでしまったこともあるかもしれません。

「それでもあなたが選んだこと」

そう言ってしまうことは、とても簡単です。

確かに、そうも言えるかもしれませんが、その言い方だけでは片手落ちなんです。

「判断しないこと」はたやすく出来ない

「それでもあなたが選んだこと」

そう言われてしまったら、あなたはどう思いますか?

容易に受け入れることはできないはずです。まして、「カウンセラー・セラピスト」などと名乗っている人の発言であったらどうでしょうか?

私が以前パラリーガルとして働き、弁護士になろうと可能な限り努力して、結局様々な要因から血の涙を流してあきらめたことはお話してきました。

その経験があるから言えることですが、法律を学ぶということは「事実」と「評価」を分別することであるともいえます。

それを心の世界について置き換えて言えば、「事実」と「感情」ということになるでしょうか。

「事実」と「評価」を分別することを身に着けるため、少なくとも数年の期間は必要です。司法試験の合格者でさえ旧制度下では2年もの時間を費やしています。

まして、人の心を扱う側に立つものは、それ以上の期間を必要とすることは想像に難くありません。

「それでもあなたが選んだこと」

「選んだ」という事実は無色透明でも、「それでもあなたが」という言葉には明らかに「それは間違いである」という「判断」が加わっています。

お分かりいただけますか?

受け入れるからこそ「ありのまま」でいられる

以前「ありのまま」という言葉が流行ったことがあります。

そして、「ありのまま」という言葉の意味を「今の自分のままでOK」というように考えている人が多いのではないでしょうか。

でも、それではやはり片手落ちなんです。

なぜなら、「ありのまま」を単なる「現状追認」の意味で考えてしまい、自分は何もしなくても認めてしまえばそれでOKと思い込んでしまう可能性が高いからです。

もちろん、そうではありません。

素晴らしい自分、人から認めてもらえる自分を受け入れることはたやすく出来ます。

ですが、みっともない自分、他の誰にも見せたくない自分であっても受け入れる勇気を、あなたは持っているでしょうか?

私は完璧に出来るという自慢話をしたいのではありません。

私だって人ですから、出来ないときもあります。

ただし、そんな自分であっても逃げずに向き合おうということは、自分自身に対して誓っています。

そこから逃げずにいてはじめて、「ありのまま」でいることが可能になるのですから。