最近は使われることが少なくなった

「カリスマ」

という言葉。

辞書を調べると

カリスマという言葉は

古代ギリシャ語に起源を持ち

「非凡な精神力」

「奇跡を行い予言をする神賦の能力」

という意味で使われていました。

近代、現代になって

その意味が転じて

「非凡な才能や魅力を発揮する人」

という使われ方をしています。

こういうと

「親のどこがカリスマなの?」

と思われることでしょう。

しかし

よく考えてみてください。

生まれたばかりの赤ん坊

よちよち歩きをし始めた乳児

にとって

親は

何でもできる

スーパーマン

であるといえるはずです。

言葉を話し始め

動き回るようになり

自我を持つようになっても

親の存在は

決して無視できない

重要な存在です。

日本人が失った「親の背中」

以前

日本人の子どもの中には

「大きくなったら

お父さんのようになる

(お母さんのようになる)」

というお子さんが多くいました。

両親が

子どものロールモデルとして

精神的に自立しており

子どもの前で

無様な姿

みっともない姿を

さらさないように気をつけていた

そんな家庭が

一定程度存在していました。

子どもは

親の姿を見て

自分の将来像を明確にイメージして

貧しいながらも

一生懸命生きていました。

しかし

特に第二次世界大戦後

高度経済成長期を経て

「一億総中流」

と言われる時代になり

バブル景気がやってきました。

「普通に働けば給料は上がる」

「必死にならなくても生きていける」

「日本には世界中のものが集まる」

多くの人は

努力することを

自分自身を成長させることを

止めてしまいました。

この頃から

「家庭内暴力」

が取り上げられ始め

学校や家庭を題材にした

ドラマや映画が

数多く制作され

注目を集めるようになりました。

子どもが

凶暴になったわけではありません。

子どもが

生きがいを見失ってしまった

親の背中を見て

将来に絶望するようになり

はけ口のない力を

暴力として使ってしまったのです。

暴力の後の無気力

まだ

暴力として

力を使っているうちは

道さえ見つかれば

子どもが

能力を発揮するように

努力するようになりました。

しかし

バブルが崩壊し

失われた20年が過ぎ

大人は

親は

生きる意味を見失っていました。

子どもたちは

そんな親を目の当たりにして

「なるようになるさ」

日々を

何となく過ごすようになり

「無気力」が

世の中に

充満していくようになります。

少し前には

「草食系」

という言葉が流行りました。

自分からは

積極的に行動しない

受け身な人

特に若い男性に対して

使われていました。

世の中では

大人が活力を失っていき

家庭では

親が自分を諦めてしまい

子どもたちに対して

背中を見せることが

できなくなっていました。

忘れないでください。

子どもにとっては

いくつになっても

親が最大の

「カリスマ」

であるということを。

どんな有名人も

魅力的な芸能人も

叶わない影響力が

親にはあります。

その影響力を

活かすも殺すも

すべては

親であるあなた次第です。