今日は、クリスマスイブです。

クリスマスは明日なんですが、本来はイエス・キリストの生誕日として、クリスチャンであればその復活を祈念して敬虔な気持ちで教会のミサに通うなどすべき日です。

それがいつの間にか季節のイベント化してしまい、多くの企業が消費を促進するためのCMをたくさん流し、マスメディアもそれを後押しするかのような報道しかしないようになってしまいました。

日本人は寛容な精神を持っているので、外国の文化でも自分たちの生活の中に取り入れることが出来る稀有な民族です。ですから、クリスマスの1週間後には新年の初詣に神社やお寺に行くということもできます。

ただ、あまりにも寛容すぎて、マスメディアのイメージにまんまと誘導されてしまっている面は否めません。

祈りと感謝と捧げるべき日

マスメディアなどによるクリスマスを利用した商業主義の行き過ぎに対して、ローマ教皇ベネディクト16世は

現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。このような商業主義による「汚染」は、降誕祭の本来の精神を変質させてしまう恐れがある。降誕祭の精神は、「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない。(2005年12月11日)

そして、別の機会には

クリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。政治や株式市場など俗世の出来事にどう関わるべきかの啓示は、聖書の中に見つけられる。……貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ。……クリスマスはとても楽しいが、同時に深く内省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう。(2012年12月19日)

というコメントを残しています。

カトリックを統べるローマ教皇が、このようなコメントを出すこと自体が極めて異例です。とはいえ、このようなコメントを出さなければならないくらい現代のクリスマスは商業主義に汚染され、本来の意義を失ってしまっていることも事実です。

つまり、ローマ教皇は、馬小屋でキリストの降誕に感謝した人々のように祈り、自らのことを省みるべきだと言っています。私も同感です。

「楽しい」「楽しくない」で終わらせないために

世間では、「カップルで過ごす」「ひとりで過ごす」「家族で過ごす」などのように、楽しく過ごすにはどのようにしたらいいのかという視点でクリスマスが見られています。

そのためには「◯◯のイベントに参加する」「△△を買って楽しむ」など、まさに商業主義に乗った報道しか為されていません。

そんな報道に惑わされることなく、自らを省み、今生きて個々にあることを八百万の神に感謝する日にして、自分に一体何ができるのか、何をすべきなのかを深く施策する時間にしてみましょう。

この時間が新年を迎えるに当たってのエネルギーとなり、単なるイベントの過ごし方では終わらない、自分の人生をさらに向上させるきっかけになっていくことでしょう。

今の自分にとって何が大切なのかを、見極められる自分になりましょう。