約2週間前、奈良県にある大神神社へ、御神体である三輪山へ登拝をしてきました。

「『登拝』って何?」と思われたかもしれませんが、単純に言えば「登山して参拝すること」ということでしょうか。

富士山の山頂に神社があることはよく知られていますが、富士山は日本最高峰で「霊峰」とも呼ばれていますが、神社の御神体ではありません。

これに対して、山をご神体にしている神社は日本にいくつかあり、大神神社はその一つです。

昔は御神体である三輪山への登山は禁止されていましたが、氏子さんたちや大神神社神社を信仰する人たちの強い要望があって、登拝が解禁されたそうです。

インターネットなどで三輪山への登拝について調べると、不思議な現象が起きたこと、呼ばれなければ登ることが出来ないことなど、様々な逸話が記事にされていました。

「一体どんな山なんだろう?」

京都に向かう新幹線の中で、そんなことを考えていました。

奥津磐座まで進んで見えたもの

山頂の一番奥には神様が降臨されたという「奥津磐座」があります。

登拝の道すがらについては多くのブログで記事になっているので、ここであえて申し上げることはありません。

ただ、奥津磐座までたどり着いて私が感じたことを表すとしたら

「無」

という言葉が一番適切ではないかと思います。

三輪山は500メートルに満たない標高で、ハイキング気分で登ってしまうことも出来ます。実際そんな感覚で登っている人も多く、街を出歩くような格好で登っている人も多く見かけました。

それが正しいのか間違っているのかは、問題ではありません。

もっと言ってしまえば、周囲で登拝をしている人は何ら関係ありません。あくまでも、私が私自身のために登拝しているのであって、周囲を気にする必要などありません。

息が上がり、膝周りや股関節に痛みを感じながら奥津磐座に辿り着いたとき、すべてが軽くなっているような感覚に襲われました。

だから「無」なんです。

空を見上げれば真っ青な空、冬の冷たい風がピタリと止んで木々のさざめく音だけが聞こえる。

「帰ってしまうのが惜しい」

そんな気持ちになりました。

神社を後にするとき、登拝用に動きやすい格好で防寒も最小限でしたが、冷たい風が心地よくなぜか心は満たされていました。

帰ってきてからの意外な変化

東京に戻り、PCを使おうとしたのですが、PCが立ち上がりません。

私のPCでは指紋認証を使っていたのですが、その指紋が読み取られなくなってしまいました。

10本の指をすべて登録していたのですが、すべての指を試しても反応は変わらず、止む無く指紋認証を止めて普通のパスワードで管理することにしました。

以前から指が荒れていたということはなく、指紋が読み取られないということはないはずなのですが、コンピューターは「別人」と判断したようです。

どうやら私は別人に生まれ変わってしまったようです。少なくとも「指紋」については。

そんな事態になっても、何故か嬉しさがこみ上げてきました。新しく生まれ変わったのであれば何でも出来るような気持ちになったからです。

今度は、もっと人が少ない時期を選んで登拝し、感謝を伝えに行きたいと思っています。