京都滞在2日目です。

今日は天候が悪く、朝から近畿地方は大雨となったため、本来の予定は明日へ持ち越すことにして、京都市内で「ここぞ」と思う神社に参拝しました。

その神社の名は「日向大神宮」

別名「京のお伊勢さん」

地下鉄東西線の「蹴上(けあげ)駅」から1番出口を出て左へ坂を登ると、2,3分で小さな鳥居が見えてきます。

ここからが参道になります。

最初は民家の間を通るため、花壇があって整えられていますが、小さな橋を越えたところから木々に覆われた道を通っていきます。

次第に参道の勾配が急になり、体力に多少自信のある私でも、汗を拭いながらでなければ登りきることは難しいほど急な坂になっていきました。

境内に着く頃には頭も心も真っ白に

多くの神社は参道が緩い上り坂になっており、本殿を見上げる作りになっています。

ですが、ここまで参道の勾配が急になってくると、ちょっとした登山にも似た感覚になってきます。

おそらく参道を通った時間は10分から15分ほどでしょうか。

時間だけを見れば大した時間ではないかもしれません。

しかし、息は上がり、汗を拭いながら登っていくうちに周囲を見る余裕がなくなっていき、境内に辿り着くことだけを考えて歩いている自分がいました。

たった10分、15分参道を登ってきただけなのに、ここまで体力を消耗した経験は後にも先にもないでしょう。

そうして辿り着いたとき、私は何も考えられず、頭が真っ白になっていました。

湧き上がってきたのはただ「感謝」のみ

神社といえば、普通「お願い」するところだと思われています。

「神様、私の願いを聞いてください」

しかし、これは祀られている方々に失礼なことではないでしょうか。

祀られている方々は、その土地や人々を見守っている存在です。

「神様」が実際に存在しているか否かは問題ではありません。その真偽は決して答えの出ないことですから。

その見守っている存在である「神様」に対して、自らは何の努力もせずに

「お願いしているんだから、私の願いを叶えてください」

と言っているんです。

仮に神様が実在しているとしても、そんな参拝者の願いを叶えてあげたいと思うでしょうか?

急な勾配の山道を登り切り、頭が真っ白になった自分、それを感じたとき気づいたのです。

「神社にお参りする際は、こんな心持ちでないと意味がない」

ということを。

明日は本来の目的のために奈良へ

今日は大雨のため順延することになってしまいましたが、本来の目的を明日果たすために、私は奈良へ向かいます。

より正確に言えば、三輪へ向かいます。

そこには、日本で最古の神社のひとつが鎮座しています。

その神社の御神体は、境内に祀られているのではなく神社の裏にある山です。

その山に昇ることが、今回の旅の目的です。

御神体を見ることさえ不可能なことがほとんどなのに、その神社は、御神体の中へ入ることを許可しています。

明日は、敬虔な気持ちで、自分自身を虚しくすることで、心の奥からの感謝を体で伝えてこようと思います。

今日はその予行演習ができたということで、この大雨も私のためだったのだろうと思える一日になりました。