私も「心」についてお話しているので、心に関することを描いている記事などには自然と目が止まります。

その中で、主にFacebookのフィードで、次のようなことを言う人を見かけることがあります。

「感情をコントロールしましょう」

「感情をマネジメントすれば、ストレスから解放される」

一見、もっともなことを言っているように聞こえます。

しかし、少し考えてみれば分かることですが、感情を「コントロール」するとか「マネージメント」するということは不可能なことです。

彼らの話を聞いていると、想定されている場面がかなり限定されています。

ですから、コントロールやマネジメントというレベルといえるのか正直分かりません。

「感じてしまう」からこそ

例えば、道を歩いていると脇の道から自転車が急に飛び出してきたとします。

もちろんビックリしますよね。

そのときに、「私は驚こう」と思ってからびっくりするわけではありません。

自転車が飛び出してきた瞬間に、すでに「怖い」と感じています。

別の場合ではどうでしょうか。

もともと仲があまり良くなかった人から、突然非難されるようなことを言われたとします。

そのときに、「私は怒ろう」と思ってから怒るわけではありません。

ひどい言葉を言われた瞬間に、すでに「怒り」を感じています。

このように、感情自体をコントロールすることは不可能です。

なので、彼らの言葉の使い方には明確な誤りがあります。

正確に言うならば、彼らの言う「コントロール」「マネジメント」とは、感じてしまった後の捉え方を変えていくという対処方法のことを指しています。

ただし、たとえ、彼らの言う「コントロール」が出来たからといって、感情自体をコントロール・マネジメントしたことにはなりません。

もっと言えば、心の中から自然と湧き上がってくる感情を、頭(理性)で「コントロール」「マネジメント」できると考えること自体問題があります。

コントロール・マネジメントするというとき、感情を抑圧することにつながりかねないからです。

ですから、どの場面のことを入っているのかを履き違えると、とんでもない誤解を生んでしまいます。

コントロールできるのは「在り方」

では、「コントロール」「マネジメント」というとき、一体何を「コントロール」「マネジメント」すべきなのでしょうか?

コントロールというと語弊が出てしまうかもしれないので、あまり使いたくありませんが、変えるべきは感情ではなく私たち自身の在り方です。

たとえ怒りや憎しみを感じるような場面に出会ったとしても、感じること自体を否定せず、かといってやたらめったら表に出すこともしない。

感情自体を自分自身とは異なるものとして扱うことができる力

そうした感覚を培うことは十分可能です。

それを「悟り」と呼ぶかは別として、自分自身のことを「観の目」をもって観ることができる、平たく言えば自分自身を「客観視」することです。

私もその域に到達しているとはいえませんが、日々心がけています。

まず、自分自身のことを客観視できるようにならなければ、他人のことについても冷静に見極めることが出来ません。

「他人よりもまず自分」

だからこそ、私は常日頃から自分自身と向き合うことが大切であると言い続けています。

多くの人が陥りやすい誤りは、自分自身を変えるのではなく、他人を自分の思い通りに変えようとすることです。

他人を自分の意図するとおりに扱えるのは、ほんの一時です。長い目で見れば必ず軋轢を生み、人間関係を壊してしまうことになります。

そのことに気づいている人が、一体どれだけいるのでしょうか?

変えていくべきは、私たちそれぞれの「在り方」です。