「藪から棒にお金の『定義』ってどういうこと?」

と思われた方もいるかもしれません。

普通であれば、『イメージ』と言うのかもしれませんが、私は、「現実的であること」そして「言葉」を大切にしていることは以前から申し上げてきました。

そして、イメージも最終的には無意識的に「言葉」へ変換されて理解されていることを考えると、「定義」としたほうが適切です。

私たちは、お金に対する「定義づけ」をしていることにほとんど気づいていません。

私が持っていた「定義」

私は幼い頃に、父親がお金の問題で母親を困らせている場面を何度も見てきました。

「困らせている」というと聞こえがいいですが、実際は、「修羅場」という言葉では片づけられない事態になったことも何度かあります。

今では、父親がなぜ問題を起こしてしまうのかを自分なりに理解できるようになりました。

とはいえ、当時は、怖く寂しい思いを随分したものです。

そんな経験をしてきた私が、以前に持っていたお金の定義は

「大切な人を悲しませたり、苦しませたりしてしまうもの」

「あってもなくても、悩みの種になってしまうもの」

「困らない程度にあれば、何とかやっていけるもの」

というものでした。

つまり、「お金は、どのみち自分や家族を苦しめるもの」という「定義づけ」がなされていました。

お金を得たことで、お金を使ったことで、自分自身の糧になる経験をしていなかったからです。

定義づけを変えるのは出来事ではない

私は、幼い頃に様々な経験をしてきました。

そのために、お金に対する定義を、ある意味歪めてしまっていたということができます。

しかし、自分自身と向き合い始めてから、お金の定義が全く異なる人たちに出会っていくようになります。

彼らの考えていることは

「いかにお金を自分自身の糧になるように動かし使っていくか」

「将来を見据えたお金の使い方を常に意識する」

ということでした。

彼らは、お金持ちというわけではありません。

逆に忙しすぎて、自分のプライベートのために使う時間もかなり限られています。

「ビンボーなんですよ」

と口々に言いますが、彼らがいかに充実した毎日を送っているのかは、その雰囲気だけで分かってしまいます。

彼らと接しているうちに、自然と変わっていったのです。

お金に対する定義も。

過去の体験・経験は決して変えることはできません。

その体験からの「定義」を、今も持ちづつけることを選んでいるのは、他ならぬ私たちです。

「定義」を選び直すことは、いつでもできるのです。