(※2018年3月7日更新)

「依存」というとき、あなたは何を思い浮かべますか?

一番良く耳にしたことがあるのは「薬物依存」かもしれません。

他にも、ギャンブル依存、買い物依存、セックス依存など基本的にはネガティブなイメージです。

「私は別に何かに依存なんかしないよ」

とあなたはおっしゃるかもしれません。

しかし、私たちは容易に「依存」に陥りやすいのです。

一番わかりやすい例は、最近で言えばAKB48、欅坂46などの「アイドルの追っかけ」です。

アイドルを追いかけるのは一種の「疑似恋愛」です。

CDを買い込み、握手会に毎回参加し、写真集は全部買い、総選挙への投票に血眼になる

生活の中心がアイドルへの「疑似恋愛」になっています。

場合によっては、学校や仕事を犠牲にしてまでコンサートやイベントに参加します。

「依存」と言えませんか?

言えるはずです。

「依存」になってしまうと

おそらく

「別に依存しているわけではないでしょ!」

「ただ好きで追いかけているんだから、いいことなんじゃないの?」

とあなたは思われるかもしれません。

先の例で説明しましょう。

ファンが、アイドル本人に直接コンタクトを取ることはできますか?

決してできませんよね。

すべて相手が設定したルール・日時・場所に従わざるを得ません。

もし仮に、ファンがアイドルを従わせようとすると何が起きるか。

会場の爆破予告

メンバーへの殺傷事件

近年、ニュースにもなりました。

つまり、最終的には暴力などで相手をコントロールしようとします。

力でコントロールしようとするのはなぜだと思いますか?

コミュニケーションできる関係性にないことが分かっているからです。

普段からコミュニケーションのできる関係であれば、話し合うことができます。

しかし、アイドルは近づけるようで近づけないから「アイドル」なのです。

近づけなければコミュニケーションなどできません。

だからこそ

「お前が止めないなら、止めるようにしてやる!」

もっと感情的に追い詰められれば

「私を捨てるなら、あなたを殺して私も死ぬ」

という状態になってしまいます。

では、なぜそのような状態になるまで追い込まれてしまうのでしょうか・

「自己肯定感」なんて表面的なことではない

依存をテーマにすると

「それって、『自己肯定感』が低いからなるんでしょ?」

という方が必ずいらっしゃいます。

外れではありませんが、それでは十分ではありません。

「自己肯定感」という言葉では言い表せないものがあります。

「依存」とは、程度の差こそあれ

「相手の存在 = 自分自身の存在価値」

つまり、自分の人生を相手の存在に賭けてしまっているのです。

相手が自分の人生のすべてになってしまうのですから

自分自身は「0(ゼロ)」

ということになります。

自己肯定感よりも、深い思いが隠れているのがお分かりになるでしょうか?

相手が自分の人生のすべてになってしまうのですから

相手と自分との境界線が、ほとんど無くなっている状態です。

「心理的な」境界線です。

だから、相手の言動をチェックせずにはいられないのです。

だから、少しでも自分の思惑と外れるとヒステリックになるのです。

「自己肯定感」だけの問題と言えなくなってきます。

肯定するかどうかの問題ではなく、自分の存在自体を認めていないからです。

単なる「自己否定」ではありません。

否定するとは、前提として存在自体は認めています。

認めた上で、自分が好きか嫌いかを判断して「嫌い」と言っているだけです。

自分自身に存在価値を認めていない、「0(ゼロ)」の場合はどうか。

そこから「1」を作り上げることは、容易なことではありません。

アイドルに依存している、そのことを否定するわけではありません。

大切なのは、現実を、自分の人生を明け渡していないかどうかです。

あなた自身が成長していくのでなければ、「依存」であるかもしれません。

誰かに埋め合わせをしてもらいたいのであれば、「依存」であるかもしれません。

現実に幸せをつかむほうが良いのではありませんか?

そのために自分ができることは何か、考えるときが来ています。