昨今、「ダイバーシティ」が声高に主張されるようになっています。

ダイバーシティとは、一言でいえば「多様性」ということになりますが、どのような意味での「多様性」なのかあまりにも漠然とし過ぎていて伝わっていないのではないでしょうか?

例えば、「LGBT」

LGBTは、性的マイノリティ「L(レズピアン・女性同性愛者)G(ゲイ・男性同性愛者)B(バイセクシュアル・両性同性愛者)T(トランスジェンダー・性同一性障害)」のことを言います。

人によっては「ダイバーシティ=LGBT」と勘違いしている人もいます。

もっと目を向けるべきことがある

LGBTの人々が社会に受け入れられることも大切です。

性的マイノリティであるがために、理解を得られず誤解され、一般社会で生きることが難しい状況にあることは残念なことです。

テレビタレントとして活動されている方々によって、ある程度の市民権を得はしましたが、現実はそんなに甘くありません。

そんな彼らを応援・支援する人たちも増えているようです。

とはいえ、彼らは五体満足に不自由なく生活できています。

私たちが忘れてはならないのは、身体的・精神的にハンデを背負いながらも一生懸命生きている人たちのことです。

日本は、国民の平均寿命が世界トップクラスであり、皆保険制度のある数少ない国です。

素晴らしい成果ではありますが、その内実はとても深刻です。

介護を必要とする人は増えるのに、従事する人の労働環境や待遇が劣悪なため、夢をもって仕事を始めた若い人たちが実質的に「使い捨て」にされている状況にあります。

精神的に病んでしまい、彼ら彼女らの、その後の社会生活や就職に影響が出ています。

障碍(障がい)や難病を抱えながらも、専門的知識のない周囲からすれば普通の人のように思われ理解されない、同じ難病の人の数が少ないため難病指定されず国からの保護を受けられない人も大勢います。

このように、通常の生活を送ることがこの上なく困難な人たちについて、一体どれだけ報道されているのでしょうか?

多様性を認めるためには経済的支援が不可欠

障碍を持ちつつも日常生活を送るためには、それを可能にするための設備や道具、そして薬などを継続的に使用・服用することが大前提になります。

薬なら保険を使うこともできますが、設備や道具を購入する、あるいは第三者のものを利用する場合には保険など使えません。

全て自腹で出費しなければなりません。

オリンピックなどに多額の費用を使うのであれば、日常生活を送ることが困難な人を支援するために使うほうが何万倍も「活きたお金の使い方」になるはずです。

極論すれば、オリンピックなどなくても人は生きていくことができます。

オリンピックはもはや商業イベントでしかありません。

「国威発揚」などというのは、もはや死語です。

今日は、堅い話題になりましたが、そうしたことから目を背けていて「人の心を扱う」なんてことはできません。

「自分だけが良ければそれでいい」という時代は終わったのです。

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