今、「カウンセラー」や「セラピスト」と名乗る方は数多くいます。

皆さん、それぞれのやり方でサービスを提供しています。

「私のセッションを受ければ癒やされます」

そんな謳い文句とともに、クライアントさんとの2ショット写真を載せている。クライアントさんたちとの集合写真を載せている。

確かに楽しそうだし、写真に写っている人たちを見ていると「自分も受けてみたい」と思う人が出てくるのもわかります。

ただ、そうした「リア充」感(もう古い言葉になっていますが・・・)を見せている人たちに違和感を感じるのは私だけでしょうか?

本当に癒やされた人は「癒された」なんて言わない

私は、法律事務所へ勤務していた時代に、依頼者だけではなく、ボス弁の交友関係の中で数多くの人とお会いしてきました。

中には著名人や会社経営者も多くいます。

いわゆる世間一般からすると「成功者」と呼ばれる人たちにも、彼らなりの問題や課題があります。

しかし、それに振り回されている感は全くありません。

不思議ですよね。

彼らがそうしていられるのはなぜか?

彼らは一般の人よりも挫折を数多く経験しているはずです。血の涙を流したこともあるでしょう。

そうした経験を積んできているために、一見どうにもできないピンチに思えるような状況であっても、そこで答えを見つける方法を学んできています。

「自分自身との向き合い方」を知っていて、既に、誰に言われるまでもなく実践してきました。

そうです。

彼らはもう癒やされているので、「自分を癒そう」という発想自体が浮かびません。

「癒し」という言葉自体がでてこないことでしょう。

「癒し」という言葉を使う人ほど癒やされていない

では、なぜそこまで「癒し」という言葉を強調してしまうのか?

それは、「私は全く癒やされていない」ということが知られてしまうのを怖れているからです。

しかも、曲がりなりにも「カウンセラー」「セラピスト」と名乗っているにも関わらず、自らの問題や課題を克服できていないなんて口が裂けても言えません。

そうすると、「私は癒やされた人」という役割を演じるしかなくなります。

しかし、気づく人は気づいてしまいます。

「この人は本当にカウンセラー(セラピスト)なの?」と。

どんなに上手く隠しているつもりでも、その人の言動の端々に「えっ!?」と感じてしまう瞬間があります。

それも、一度や二度ではありません。

隠したいからこそ、クライアントさんたちとの集合写真を載せることで「リア充」感を演出しなければ、自分自身が落ち着かなくなっているのです。

肩書のいかんを問わず「癒し」を強調する人たちには、そうした隠れた問題があることは、知っておいて損はないことでしょう。