(※2018年4月4日更新)

「タイトル」

ネットの記事を読む

あるいは

書店を本を買おうとするとき

「良さそうなタイトルだったから」

という人も多いことでしょう。

あなたもタイトルに惹かれて

本を買ってしまったことがあるはずです。

私もあります。

タイトルは確かに大切です。

短い言葉の中で

記事を読んでもらい

本を手にしてもらえるように

付けなければいけないのですから。

人に注目してもらうために

考えに考え抜かれて

付けられていることでしょう。

ただ

時に「煽り」目的で

タイトルが付けられることもあります。

「買ってみると内容が違った」

ということもたくさんあります。

「煽り」のタイトルを見るにつけ

「たとえ本物の方法でも

 使う本人が使えるレベルに

 達していなければ無意味」

ということを

どれだけの人が理解しているのか

私は不思議でなりません。

最高の方法があったとしても

例えば

プロ野球選手になりたい人に向けて

「全盛期のイチローと

同じ実力が発揮できる

バッティングの秘伝書」

という本があったとします。

価格は数万円。

本当にプロ野球選手になりたいと

努力しているお子さんは

もちろん欲しがるでしょう。

お子さんをプロ野球選手にしたい

と考えている親御さんは

買ってあげたいと思うはずです。

ただし

よく考えてみてほしいのですが

超一流の技術を

まだ

心も体も成長の途中である

小学生が使いこなせるでしょうか?

たとえ

甲子園レベルの高校生であっても

難しいことでしょう。

なぜなら

超一流の技術を

実践で使えるようになるためには

それ相応の体力・技術・精神力が

必要になるからです。

当たり前ですよね。

全く基礎のできていない人が

超一流の技術論を知ったところで

何の役にもたちません。

まずやるべきなのは

基礎を習得し実践を重ねることです。

その上で

少なくともドラフトにかかる実力を

身につけることではありませんか?

心の世界でも同じことが言えます。

あなた自身という「基礎」を見つめ直す

心の成長を願う多くの人は

「方法・やり方」

ばかりを求めてしまいます。

例えば

「神様とつながって願いを叶える方法」

「天使に幸せな人生へ変えてもらう方法」

というように

自分以外の特別な何かに

人生を変えてもらおうとします。

天使や神様の存在を

ここでとやかく言うつもりはありません。

個人的な信条の問題になってしまいますし

それを肯定しようが否定しようが

そこが本質ではないからです。

仮に

神様や天使が存在するとして

今この瞬間

自分自身の心にさえ向き合おうとしない

あなたのお願い事を

彼らは聴いてくれるでしょうか?

「神様からメッセージを聞いています」

「私は占いに従っています」

と言う人がいらっしゃいます。

しかし

そんなことは

あなた自身と向き合うことではありません。

自分以外のものから与えられたことに

盲目的に従っているだけで

あなたの「心の声」に全く耳を傾けていません。

カードを使おうが

何かの理論を学ぼうが

本質は同じことです。

自分以外の「誰か」や「何か」は

あなた自身と向き合うための

「きっかけ」

にしかすぎません。

その「誰か」や「何か」に

依存することは止めて

あなたの「心の声」に

そろそろ耳を傾けてあげませんか?