親御さんの年代が下になればなるほど、小さいお子さんを夜の繁華街に連れ出し、居酒屋さんでご飯を食べさせる傾向があるようです。

私は、それを見たとき驚きを隠せませんでした。

お酒を飲みながら大声で喋っている年配の男性や、飲み会で異様に盛り上がっている学生が周りにいる中でご飯を食べさせる、その影響の大きさを考えているのでしょうか。

私には、親御さんの感覚をお子さんに押し付けているようにしか見えません。

子供時代にしか経験できない世界がある

「日が暮れる前に家へ帰る」「夜9時までには寝る」

お子さんの安全を考え、心と体の健康と成長を考えたこうしたルールは、暗黙の了解として守られていました。

そのため、子どもたちは限られた時間の中で、遊ぶこと、あるいは勉強することに頭と体をフル回転させて生活していました。だからこそ、単純な遊びの中でも創意工夫をしていかに楽しくやれるかを考える知恵をつけていきました。

それが私たち日本人の「地頭」の良さに繋がり、あの高度経済成長期を支える礎となりました。

しかし、現代はどうでしょうか。

ファミコンの爆発的な普及に始まったコンピュータゲームの登場により、遊びは「他人から与えられるもの」という概念が刷り込まれていきました。

近年ではスマートフォンでもゲームが出来るようになり、ゲーム機とシェアを競うまでになっています。

勘違いしてほしくないのですが、私はゲームそのものを批判しているのではありません。ゲームには中毒性があるので、お子さん自身ではコントロールすることが難しいのが現実だということを知ってほしいのです。

さらに、親御さんが深夜まで連れ回すことが多くなってしまったら、お子さんにはこんな概念が刷り込まれてしまいます。

「いつでも遊んでいいんだし、苦労しなくてもすぐ手に入るものがたくさんある」

今の現代の状況を憂えるのは、私だけでしょうか。もしそうだとしたら、かなりの危機であると言わざるを得ません。

権利を主張するあまりに

子どものうちの「制限」があるからこそ、大人になった時に得られる「自由」の大切さがわかります。

ただ、現代の「制限」のかけ方はあまりにも不自然です。例えば、ニュースで小学校に不審者が入ってきたという事件が報道されれば、放課後や休日に校庭を使用することを禁止して、子どもの行動範囲を制限する。

あまりにも短絡的としか言いようがありません。

ニュースで報道されることは、世間で起きている「事件」と言われるもののほんの一握りなのに、それがあたかも日常的に起こるかのように錯覚してしまう。

例えば、親御さんの中には「うちの子に何かあったらどうするの?」と原因を全て学校や教師、他のお子さんのせいにする方もいらっしゃいます。いわゆる「モンスターペアレンツ」です。

みんな「権利」ばかりを主張します。権利ばかりを主張して、自分たちに課せられている「義務」については、考えが及びません。

「権利」と「義務」は表裏一体です。

大前提として、私たちには健全な社会生活が送れる環境を維持する義務があります。その義務を無視しておきながら、自分の権利だけを主張することは本末転倒です。

親御さんが夜遅くに小さいお子さんを繁華街に連れ出すのは、「健全な社会生活」と言えるでしょうか。もう一度考えるべきときが来ているのではないでそうか。