まずは、亡くなられた小林麻央さんに対して、謹んでお悔やみを申し上げます。

お疲れ様でした。ゆっくりとお休みください。

病気と奮闘しつつ、ブログを更新して発信し続ける姿に多くの方が感動されたと思います。

マスコミ各社も、そんな生前の彼女の行動を賞賛するものばかりです。

有名人が、自身の病気を公表して闘病する姿を見せる、並大抵の精神力ではできないことは想像に難くありません。

ただ、こうした訃報に際して、必ずこんなことを言う人がいます。

「病気になったからこそ気づけることがある」

「病気は、大切なことを気づかせるための『サイン』である」

でも、それっておかしな話だと思いませんか?

私たちの体では、常にガン細胞ができています。できていますが、免疫が正常に働いているのでガン細胞ができても大きくなることはありません。

しかし、その免疫機能が正常に働かなくなっていくとガン細胞が消えずに残ってしまい、次第に大きくなっていくことでいわゆる「ガン」になってしまいます。

であれば、免疫機能が正常に働かなくなっていく過程で、私たちの体は必ず反応しているはずです。

サインは常に送られてきている

日常生活の中に埋没しがちですが、私たちの体は正直なので、常にサインは発しています。

「何だかわからないけど、調子が出ない」

と思ったことがあるはずです。

そんな、ふと首を傾げたくなるような感覚になったことはありませんか?

何故だかわからないけど、嫌な感じがしたことはありませんか?

例えば、明日必ず出席しなければならない会議やイベントがあったとして、でも翌朝になって起きてみると何となく行く気になれない。

起こることは些細な事かもしれません。

他にも

電車が遅れてしまい、開始時間に間に合わない

用意していたはずの、持っていかなければならないものが見つからない

こんなことがありませんでしたか?

あなたの予定を狂わせることは確かです。

しかし、その「なんとなく」が非常に大切です。

小林麻央さんも、最初に乳房に違和感を感じたときも、それを気にしつつも「あとで診てもらえばいい」とやり過ごしてしまっています。

彼女のように、命を左右する病気か否かというときでさえ、その違和感をやり過ごしてしまうことが起こり得ます。

まして、日常生活の中で感じるちょっとした違和感、何となく感じるズレ、それを見落としてしまうことは、いつでも起こり得ることではないでしょうか。

サインは常に送られてきているのです。

「感覚」「直感」は磨いてはじめて従える

こうした感覚についての話をするとき、こんなことを言う人がいます。

「私は、いつでも自分の直感に従って生きています」

「直感に従わないっていうことが分かりません」

でも、彼ら彼女らは「直感(直観)」と「思いつき」を混同している傾向があります。

直感とは、本来、自己の生存に危機が迫った場合に発動される、言語化されない瞬時の意思決定のことを指すと、私は考えています。

これに対して、思いつきとは、自己の欲望を満たすために、自己の都合のみを優先してなされる意思決定のことを指すと、私は考えています。

「そんなのお前がそう思っているだけじゃないか!」

あなたはそう思われるかもしれません。

では、あなたは、直感とは何かを自分の言葉で表現しようとしたことはあるでしょうか?

そう考えたとき、もし言えないのであれば、あなた自身の言葉に対する「直感」は未だ磨かれていないのかもしれません。

私もまだその途中です。

あなたが感じている、そのちょっとした「違和感」は、実はとても大切なことをあなたに伝えているのかもしれません。