カール・ロジャーズ博士は、1902年、アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴにある保守的なプロテスタントの家庭に、6人兄弟の4番目の子供として生まれました。

両親は、子どもたちが生まれ成長すると、子どもを世間の雑事から守るために、シカゴ郊外の農園に移り住み、子どもたちが友人と交流するのを厳しく制限していました。

そのため、博士は、ほとんど友人がいない思春期を送ります。

そんな生活の中で、博士は同級生と比較にならないほど読書量が多く、学業成績も群を抜けていました。

また、農園での生活から、動物の生態や農業に関心をもつようになり、高校卒業後、ウィスコンシン大学の農学部に進学し農業を学び始めます。

学生同士の議論の中で弁論の才を磨いていた博士は、育った家庭の影響からか、弁論の才を見込まれ「世界キリスト教学生会議」のメンバーに選ばれ、開催地の中国まで船旅をすることになります。

大正11(1922)年のことです。この時日本にも寄港しています。

心理学を志した瞬間

アメリカに帰国すると、博士は十二指腸潰瘍を患ってしまい入院生活を送ることになります。

大学は休学せざるを得なかったのですが、博士は大学の通信教育で心理学を取ります。

博士が心理学に出会った瞬間です。

大学卒業後、博士はユニオン神学校という、牧師を養成する長老派のエリート校へ進むことになります。ここでも、博士は心理学を受講します。

ユニオン神学校では、成績優秀者にも選ばれており、将来を期待されていました。

しかし、人の心に関する学びを深めていくうちに、博士は牧師として、宗教者として行きていくことに疑問を持つようになります。

自分が特定の宗教に束縛される生き方を望んでいないことに気づいた博士は、ユニオン神学校の向かいにあった、これも有名校であるコロンビア大学教育学部で、本格的に心理学を学び始めるようになります。

その後、ユニオン神学校を退学してコロンビア大学大学院教育学研究科に入学した博士は、臨床心理学・教育心理学を専攻します。

当時、コロンビア大学では、行動主義心理学を主に教えていたこと、博士自身が心理学の基礎的知識に乏しかったことから、大学での勉強は興味が湧くものではありませんでした。

博士は、大学に籍をおいたまま、ニューヨーク市児童相談研究所にインターンとして勤務するようになり、ここから実践的な研究・臨床が始まることになります。

語り尽くせない功績

この後、博士は長年に渡る研究を続け、「カウンセリングの神様」と呼ばれるまでになりました。

活動の記録映画はアカデミー賞を受賞して、その活動が世界平和に貢献するものだと、誰もが認める存在になっていきます。

現代では、様々な学説・流派が存在し、「ロジャーズ博士は古い」という批判もあります。

しかし、ロジャーズ博士が現代の心理カウンセリングの基礎を構築したことは、批判する人たちでさえも否定することができない歴然とした事実でもあります。

その教えを、日々噛み締めながら、私は相談者のお話を聴いています。