「子どもがイジメに遭っているかもしれない」

「田舎の父が病で伏せりがちだから、たまにはお見舞いに行かないといけない」

「母は父の世話に掛かりっきりになっていて、ふさぎ込みがちになっている」

「会社の業績が悪くて先行きが見えないから、旦那が不安になっている」

家族に様々な問題が降り掛かってきたとき、あなたは母親として、娘として、妻として、何かをしなければならないと思うでしょう。

「何とかしなければ」

そう思うのは何ら不思議なことではありませんし、そう思っているということは、今まで何らかの努力を精一杯されてきたことでしょう。

本当に素晴らしいことです。

しかし、家族にどのような問題があったとしても、家族の一人としてなんとかしてあげたいと思っていても、決して忘れてはならないことがあります。

たとえ家族であっても

家族ぞれぞれに訪れている問題は、あなたが全部解決しなければならないと思っていませんか?

「家族なんだから当然でしょ!」

と、あなたは思うかもしれませんが、なぜそこまであなたが抱え込む必要があるのでしょうか?

・・・もしかしたら、冷たい言い方に聞こえましたか?

冷たい言い方に聞こえたとしても、そこには当たり前すぎて私たちが忘れている事実があります。

「自分の人生は自分しか選べない」

言い直しましょうか。

「誰かの人生を代わりに生きることなどできない」

お子さんがイジメに遭っているとしても、周りの大人が関わったとしても、最終的にどう向き合うのかは、お子さん自身が選ばなければなりません。

病に苦しむことがあったとしても、病とどのように向き合い、自分の体とどのように向き合うのかは、父親が決めなければなりません。

ふさぎ込みがちであったとしても、自分の生活をどのように立て直していくのかを選ぶのは、母親が決めなければなりません。

会社の業績が悪くても会社の立て直しに頑張るのか、違う仕事を選ぶのか、それとも自分で起業する道を選ぶのかは、旦那さんが決めなければなりません。

「私が代わってあげたい」

その言葉自体は素晴らしく聞こえるかもしれませんが、見方を変えれば、これほど傲慢なことはありません。

あなたはあなたの人生を生きる

どうして傲慢なのか。

「私が代わってあげたい」

とは、言い方を変えれば

「私が代わってあげれば、すべてがうまくいく」

と言っていることと同じです。本当にそうでしょうか。

お子さんのときのあなたなら、イジメを乗り越えられましたか?

今、父親と同じ病になったら、あなたは耐え続けることができますか?

母親の代わりの世話をするようになっても、いつも元気でいられますか?

旦那さんの代わりに、自分で仕事をバリバリこなして家計を支えることができますか?

あなたを責めているのではありません。本当に「代わりにやること」がどういうことなのか、真摯に考えていただきたかったのです。

であれば、あなたが母親として、娘として、妻として、自分の人生を生き輝いている方が、周りのためになるとは思いませんか?

「代わってあげたい」

そのエネルギーを、まずはあなた自身に向けてください。

そこから見えることが必ずあります。