私が現在のように活動するまでに、様々な肩書を持つ多くの「カウンセラー・セラピスト」と会ってきました。

中には素晴らしい方もいらっしゃいます。

しかし、「カウンセラー・セラピスト」などを名乗っている人の多くは、「本当にこの人が人の心を扱っていいんだろうか?」と思うほど、自分自身のことと向き合っていない人の多いことを知っていますか?

「弱さ」を認めた経験がない「弱さ」

「カウンセラー・セラピスト」の多くは、クライアントだった経験があります。

かくいう私もそうです。

中には、クライアントの経験を持たない人もいますが、そういう人は多くありません。

多くはありませんが、これはこれで問題です。

なぜなら、「誰かに相談すること」を決めるまでの葛藤や自問自答を乗り越えた経験がないため、相談者に寄り添うことができず、必ず「上から目線」になってしまうからです。

これは、いわゆる有資格者に多く見られる傾向です。

有資格者でなくとも、いわゆるスピリチュアルな人の中にも、こうした人は多く見られます。

資格の有名無名に限らず、資格を持っている人は学んだ「知識」に頼らざるを得ません。

スピリチュアルな人は、自分自身の体験から来る「独断と偏見」に頼らざるを得ません。

彼ら彼女らに共通することは、「自分自身の弱さを認める強さ」を持てなかったことです。

自分自身の中に、自分ではできないと認めて専門家を頼った「経験」、そして、二人三脚で乗り越えたからこそ得ることができた掛け替えのない「学び」を持っていません。

では、クライアントの経験があるから大丈夫なのかというと、そうとも限りません。

自分が人の心を扱う側になった途端に

私がスクールで心理学を学んでいた頃、私も含めてみんなが「クライアント」です。

悩みを抱え、それを乗り越えるために知識として学び、ワークショップでは体験として学んでいました。

その学びの先には、そのスクールでいう「プロカウンセラー」という道が用意され、そこへ向かって進んだ人を多く見てきました。

ところが、その「プロカウンセラー」となった人たちの多くは、活動を止めてしまいます。

その理由は、私から見ても明らかでした。

「プロ」になった途端に、自分自身をプロカウンセラーという「役割」で生きるようになり、向き合うことを止めてしまったからです。

人の心を扱う、それは、自分自身と向き合い続けると決めることです。

なぜなら、自分自身が乗り越えたところまでしか、他人を導くことはできないからです。

いくら知識を得たところで、自分自身と向き合い乗り越えるために使わなければ意味がありません。

その経験こそが意味を持ってくるのですから。

これは、私自身への自戒を込めて言っています。

私は、自分自身と向き合い続けます。

生涯をかけて。