新幹線の中で男性1人を死亡させ、女性2人を負傷させた小島一朗容疑者。

なぜ彼が新幹線の中で凶行に及んだのか、様々に報道されています。

もちろん、周囲が考えている彼の人間像と、彼自身が考えている自分像との間には相当な溝があったはずです。

彼が凶行に及ぶ前に、ご両親は本当に何もできなかったのか、家族・親戚なども含めて本当に策はなかったのか、それぞれが考えていらっしゃることでしょう。

犯罪を糾弾することは誰にでもできますが、ここでは彼の中にある感情について考えてみたいと思います。

両親との関係性の崩壊

報道によれば、小島容疑者は両親との折り合いが悪く、祖母の養子になったとのことです。

これが何を意味しているのか、一般の人にはわかりにくいかもしれません。

祖母の養子になるということは、法律上は両親と兄弟になることと同じです。

「両親と兄弟になる」

この感覚の異常さに気付けるでしょうか?

戦前は、婿養子に来てくれた男性を、奥さんの両親の養子とすることで、家族関係を法律的にも深めようとしていた事例は数多くあります。

しかし、孫を養子にするという事例はほとんどありません。

万が一、嫁となった娘が死んだ場合、せっかく婿養子に来てくれた男性との縁が切れてしまうことを怖れて養子にするのは理解できます。

孫がいるのであれば、自分の息子(娘)が亡くなった場合でも血縁関係が切れるわけではありませんから、養子縁組をする必要がありません。

でも、養子縁組をした。

そこに深い闇が隠れています。

つまり、ご両親は彼のことを「手に負えない」と手放してしまったと考えることができます。

もちろん、養子縁組をしてもご両親との法律上の関係はそのままです。

しかし、手放されたのだとしたら、彼は何を感じていたのか想像することは難しくありません。

拭い去れなかった「自己否定」

ご両親は、彼に対して考えられるすべてのことをされたことでしょう。

中学2年生から不登校になったということは、その前に、必ず何かしらの兆候があったはずです。

可能性が高いのは「イジメ」ですが、イジメ以外にも、周りの人にとってはほんの些細なことであっても、本人のプライドがずたずたに引き裂かれることもあります。

彼の心の変化を「大人の目線」で見てしまい、感じ取れなかったとしたら、彼にとって自分のいる家庭は「安全な場所」ではなくなってしまったことでしょう。

「誰も理解してくれようとしない」

と、心を閉ざしてしまったとき、彼の感情表現は「暴力」や「罵声」しか方法がなくなります。

まるで幼い子どもが、自分の望みが叶えられないときに泣きわめいてしまうかのように。

肉親であれば、暴力や罵声を浴びせても、程度こそあれ受け止めてくれる、形を変えた「甘え」を出すことができるはずでした。

しかし、両親からすでに手放されてしまった自分の思いを、どこへも出すことができない。

思いが募り募って、犯行に及んでしまったのでしょう。

もちろん、私が申し上げているのは、報道されていることが事実であるとした場合のフィクションです。

私の申し上げていることが、当たっていないことを望んでいます。