セルフ・セラピー・カード、16番目のカードは「役割」です。

私たちは様々な「役割」という仮面を使い分けながら生活しています。

男性であれば、息子・夫・父親など、女性であれば、娘・妻・母親など、性別ではなく社会的なものであれば、弁護士・医師・教師などのように、場面に応じて求められる「役割」があります。

あなたは、今どの「役割」という仮面を付けていますか?

「役割」に囚われることの影響

私が以前弁護士を目指して法律事務所で働いていたことは、お話していたことと思います。

そんな関係で、私は多くの弁護士と接する機会がありました。

弁護士になるためには、私生活をほとんど犠牲にして数年間勉強一筋の生活を送らなければなりません。私もそんな生活を経験しました。

だからこそ、弁護士となり「先生」と呼ばれるようになると、最初は「困っている人を法律の力で助ける」と高い志を持っていた人も、「先生」であることが普通になります。

周りからも「先生」と呼ばれ、自分も「先生」であると自覚する。

しかし、いつも「先生」であることで、私生活に大きな影響がでてしまうことに気づいている人はほとんどいません。

結婚し家庭を持つようになっても、「先生」として周りと接してしまいます。そうすると自身の子どもにまで「先生」として接してしまいます。

弁護士や医師など専門職として世間で「優秀」と言われる人たちの子どもが、後を継ぐか、それとも全く違う方向の人生を選んでしまう(良い意味でも悪い意味でも)、という極端な分かれ方をすることが多いのは、親である本人が「先生」という役割から抜けられないことに起因しています。

「本当の自分」というものは存在するのか?

一方、心の世界を追求しようとする人の中には、「一体どれが本当の自分なのか知りたい」と一般社会とはかけ離れた生活を選ぶ人も少なくありません。

すべての「役割」から解放されて「本当の自分」を見つける、そのために世界中を旅したり、宗教やスピリチュアルな世界に没頭して「悟り」を得ようとする人もいます。

しかし、それらの人たちが「本当の自分」というものを見つけられたという話を聞いたことがありますか?

私は聞いたことがありません。

理由は明らかです。「本当の自分」など存在しないからです。

以前お話したことがありますが、お釈迦様がいわゆる「悟り」に辿り着いたのは、王子という「役割」を捨てたからでも、辛く苦しい修行に耐える僧侶という「役割」を全うしたからでもありません。

「すべてが自分である」

ということに気づいたからです。

お釈迦様は「悟り」を目指せなんて一言も言っていません。「悟り」を至上のものとしたのは、お釈迦様の外見だけに囚われ本質を見抜こうとしなかった弟子たちです。

「役割」は道具でしかありません。あなたがすべてを経験するための。

どんな「役割」を使い、どんな「経験」をするのか、それはあなた次第です。