巷では、神社に関して、その御利益やお参りの仕方が書かれたスピリチュアルな人の書籍が数多く並び、そこそこ売れているようです。

また、パワースポットな神社を選んで紹介している書籍も多く、Amazonなどを見てもレビューがそれなりの数付いています。

私もいくつかそうした書籍を買って読みましたが、単なる読み物として面白く読むのであれば一向に問題はありません。著者の体験談が人の興味を引くように書かれているので、あまり飽きることはありません。

しかし、このような書籍を盲信して「パートナーを得られるようにあの神社へお参りに行こう」「あの神社へ行けばエネルギーを貰える」という思いから神社へお参りにいこうとしているなら、ちょっと待って下さい。

神社は願いを叶えるところではない!?

私たちの一般的認識として、神社は「ご利益を得て願いを叶えるために行くところ」だと思われています。

私も以前はそう思っていました。

しかし、神社というより、神社を含めた神道についてよく調べてみると、現代の一般的な認識とはまるで異なっていることがわかりました。

私たちが「ご利益」だと思っているものは、具体的には、記紀(古事記・日本書紀)など日本の古代神話に出てくる神々の物語から、後世の人達が推測したものです。

また、そうした神々は、全く別々の人格のようであっても互いにつながりを持っているため、神様ごとにご利益が違うということを考える必要はありません。

つまり、「『ご利益』を得るために神社に行く」「お願いを聞いてもらうために神社に行く」という発想そのものが、本来のあり方とずれていることを私たちは認識する必要があります。

既に叶ったと深い感謝を伝える場所

では、神社とはどのような場所なのでしょうか?

「決定成就」という言葉が神道にはあります。願いが既に叶ったと自らの潜在意識に深く刻まれるまで思い続けることを言います。

このように言うと「『引き寄せの法則』と何が違うのですか?」という質問をよく受けるのですが、全く違います。

引き寄せの法則は「自分が叶えたい未来を、気分よくイメージし続ける」と私なりに定義していますが、これは、前提として「今は叶っていない状況がある」ことを自ら認めてしまっています。

よく「引き寄せの法則に従っても何も起きない」ということが起こるのは、願望をイメージする前提として「叶っていない」という強い思いがあることに、ほとんどの人が気づいていないからです。

これに対して「決定成就」は、「願う状況がもう叶っている」という思いを潜在意識に深く刻みこみ、叶ったことを神様にひたすら感謝する、感謝することでまた潜在意識に深く刻む、という一連の流れのことを言います。

似た言葉に「自己暗示」というものがありますが、暗示をかける前提として「変えたいネガティブな状況がある」ことを認めてしまっている点で、引き寄せの法則と大差ありません。

つまり、神社とは、既に叶ったことに対して、神様に対する畏敬の念を示すとともに、深い感謝の思いを表すために行く場所であるといえます。

こういうと「神道の信者になれということか!」とおっしゃるかもしれませんが、私は現代の宗教についてあくまでも中立です。

ただし、私たち日本人の根本に流れる精神には、もともと神道的な思想があることは否定できません。

私は、そうした根本の精神を大切にしたいと思ったとき、神社という場所に対する認識を改める必要があるのではないかと、皆さんに問いかけているのです。