先日「怒り」についてお話しました。

「怒り」を感じているとき、あるいは他の感情でもそうですが、実はもう一段下に隠れた感情を感じていることがあります。

ですが、その瞬間感じている感情のエネルギーがあまりにも大きくて、その下に隠れている感情に気づきません。

その感情に気づけないままでいると、本当に認識し感じておかなければならない感情が置き去りにされてしまい、その後に大きな影響をおよぼすことがあります。

置き忘れた感情は何ですか?

例えば、小さい頃に両親(特に母親)の仕事が忙しくて、夜になってからでないと帰ってこなかったとします。

学校から帰っても誰もいない。

友だちと遊ぶこともあるけれど、それは毎日とは限らない。

一人で過ごす時間が、当然多くなっていたはずです。

そのとき、あなたはこう感じていたのではないですか?

「寂しい」

普段通りに親が帰ってくるならいいのですが、時折、仕事のトラブルか何かで帰るのが夜中になってしまったとします。

当然、夜になってもひとりぼっちです。

好きなTVアニメがすっと放送されているわけではありません。

一人でする遊びにも飽きてしまいました。

そうすると、次第に不安になります。

「お父さんも、お母さんも帰ってこないの!?」

「もしかして、僕(私)、捨てられちゃったの!?」

現代の親御さんたちは言わないかもしれませんが、私の親の世代は、こんなことを冗談交じりに話していたかもしれません。

「お前は、橋の下から拾ってきて育てたんだよ」

いつもは冗談として受け止められる言葉も、このときばかりは真実味を帯びて聞こえてしまいます。

「僕(私)は、もうお父さんとお母さんの子どもって思ってもらえないんだ」

これが「無価値感」です。

感じたのは一瞬でも深く刻まれることがある

そう思った瞬間にインターホンが鳴って、お父さんが、お母さんが帰ってきたかもしれません。

「遅くなってごめんね〜」

と、お母さんはあなたを抱きしめてくれたかもしれません。

このときは感じていた「無価値感」は記憶の彼方へ追いやられてしまうことでしょう。

親が帰ってきたことで寂しさが解消されてしまったからです。

しかし、深いところで感じていた「無価値感」はそのまま置き去りにされています。

無価値感に気づいていないことが、その後の人間関係に影響します。

良くも悪くも。

望遠鏡見るときに角度が0.1度ずれてしまっただけでも、目的の天体が見えなくなってしまうように、無価値感によって歪められてしまったあなたの心は、それまでと違う道を選ぶようになっています。

だからこそ、その時感じている感情の一段下に隠れている感情を見ることがとても大切になってくるのです。