学校や職場などで、こんな人がいるという話をよく聞きます。

俗に言う「上から目線」で話す人のことです。

先生や上司などは、生徒や部下を指導するために立場上ものの言い方が厳しくなる時があります。

しかし、それと「上から目線」とは根本的に違います。

親しい間柄ではなく、いわゆる「知り合い」レベルでこの現象が起こりやすくなるようです。

それには、ちゃんとした理由があるのです。

なぜ「上から目線」でいなければならないのか

それほど親しい間柄でなければ、通常は、丁寧な言葉づかいにして関係性を良好にしておこうという気持ちが働きます。

ところが、ある感情が割り込んでくると、そうもいかなくなってしまいます。

その感情とは、一体何だと思いますか?

私たちが、社会に出ると常に晒されることだとも言えます。

それは「競争」です。

自分と相手との関係において、特定のことについて競っていると思い込んでいます。

意識している、していないは関係ありません。

勉強や仕事ができるといった「能力・才能」に関することでもありません。

もし、「能力・才能」であれば、何らかの形で結果が明らかになる瞬間が来ますから、結果として「競争」になりにくいのです。

では、何についての「競争」なのか?

それは、「人としての器」です。

根本的に自分自身を認めていない

「それって、『能力・才能』とあまり違わないんじゃないの?」

とあなたは思われるかもしれませんが、端的にいうとスケール感が全然違います。

「能力・才能」というとき「◯◯の能力(才能)」というように、ある特定の分野に対して「能力・才能」という言葉が使われます。

しかし、人としての器、つまり「器量」というときは違います。

「あの人には敵わない」

という言い方をすることがあります。

これを適切に言い換えるとするならば、「あの人の人間としての大きさがあまりにも大きくて、自分では同じように振舞うことはできない。」

ということになるでしょうか。

そして、人としての器が大きい人は、自然と存在感を醸し出してしまうものであり、力を誇示する必要もありません。

たとえ、周囲から謂れのない攻撃を受けようとも、意に介することなく泰然自若としていることができます。

「上から目線」でいる人は、それができません。

なぜなら、「劣等感」があまりにも強いので、力を誇示する姿勢を崩すことができないからです。

そんな人の言葉に、振り回されてしまうのは、もったいないことだと思いませんか?