私がクライアントさんのお話を聞いているとき、話の内容も勿論聞いています。

しかし、それだけではなく、クライアントさんの表情・仕草はとても重要な情報を与えてくれるので、私はそれを見逃さないようにしています。

昔から「目は口ほどに物を言う」という諺があるように、口で語られている言葉よりも、そのときの態度や仕草、表情のちょっとした動きのほうが、真実を語っていることがあります。

「そんなことわかってるよ!」

とあなたはおっしゃるかもしれませんが、私たちは、自分が思うより相手のことを見ていません。

例えば、相手の言葉じりに引っかかってしまうと、その意味を考えるあまりに後に続く言葉を聞いているようで聞いていません。

あるいは、相手の仕草の意味を考えてしまうと、相手の表情や視線などが気になってしまい、これも話半分に聞いてしまうことになります。

つまり、話している時にどこかに焦点を当ててしまうと、それ以外の部分については注意が届かなくなってしまいます。

すべてをバランスよく見ることには、ある程度の訓練が必要なのです。

「怒り」が筋肉の中に隠れている

仕草などを含めて、その人の全体を見ていると気づくことがあります。

例えば、お父さんからの干渉が激しかった子供時代を送っていた女性がいるとします。

彼女の話が、お父さんに関することに及んでいくと、組んだ腕に力が入ってくる、あるいは片方の手でもう一方の手をきつく握りしめている、そんな仕草を取るようになります。

口では、過去の事実を冷静に話しているつもりでも、体は正直です。

お父さんに対する「怒り」の感情が、組んだ腕に、握りしめた手に、如実に現れています。

かといって、こちらが「お父さんに対して怒っているようですね」などと指摘してしまってはいけません。

返って、彼女のお父さんに対する「怒り」の感情を出しにくくしてしまいます。

彼女の腕や手の筋肉の中に隠れていた「怒り」が、自分の感情であると彼女の認識に枠の中に入り、「私は怒っている」と口に出してはじめて、こちらから「怒っているんですね」と伝えることができます。

とはいえ、筋肉の中に宿っている彼女のお父さんに対する「怒り」をそのままにしておいては、彼女が認識することは難しいままです。

そんなときは「擬人化」してあげます。

擬人化をして、自分の外に存在していると仮定して話をすすめることで、クライアントさんが自分自身の心に眠っている「怒り」について認識しやすい環境を作っていきます。

そこに偽りはない

当然ですが、彼女の腕や手に人格があるわけではありません。

しかし、マンガやアニメでも、現実には存在しないものに人格を与えてキャラクターを作り、あたかも存在しているかのごとく登場させていることを、一般的に行っています。

彼女自身は、言葉として父親に対する怒りを表現できていません。

一方、彼女の腕や手が彼女以上に彼女の感情を物語ってくれていることは事実です。

ならば、彼女の腕や手に語ってもらったほうが、何万倍も彼女の心に響くはずです。

なぜなら、たとえイメージとして擬人化した彼らの声であっても、それは彼女自身が語っていることと同じだからです。

「そんなのバカバカしい」

そうあなたは思うかもしれませんが、「思い」というのは、自分の中でぐるぐる回っているうちは、その正体がなかなか掴めないものです。

あなた自身との距離があまりにも近いため、認識することがとても難しくなっています。

だからこそ、擬人化という形で一旦自分の外に出してあげることが大切になってきます。

そうして語られた言葉は、たとえ全部ではなかったとしても、あなたの言葉であることには間違いありません。

自分の言葉で、自分の隠された「心の声」を聴く、これほど心に響くことはないのです。